橋長14.3m、幅員3.25mのこの橋は「田中橋(たんなかばし)」と呼ばれ、洪水に流されないという庄屋の想いと、農民たちの奉仕活動によって架けられて鹿北地域最古の石橋で、安政5年(1858年)に完成しました。通称車橋、別名化巌矼(けごんこう)とも呼ばれます。
岳間渓谷(金原の滝)から原台地までの約4㎞の水路で、山を削り岩を掘り抜き、石箱を担ぎあげ、三和土で固めるなどの難工事でありましたが、約1年で成し遂げ文化10年(西暦1817年)に完成しました。
阿蘇四宮の一つで、久安元年(1145年)に当地へ分神鎮座されました。
鳥居と楼門をくぐると本殿が見え、境内には周囲四メートルにも及ぶ老杉、老檜を中心に参道から見事に立ち並ぶことから、その荘厳さは伊勢神宮を連想され、鹿北随一の神域をなしています。
菅原道真公を祀るこの神社は、正安元年(1299年)に小川内裏に勧請し、元祿元年(1688年)に現在地に移転とされています。また、この神社の鳥居には「享保十四年(1729)丙閏九月」とあり、鹿北町内で最も古いとされており、県下では古い鳥居で貴重な石造物であると言われています。
明治から大正にかけて、茶摘みのために天草や玉名から訪れた人たちに唄われたものです。
(のぼり唄)
1 茶山のぼりは皆菅の傘 どれが姉やら妹やら
2 縁がないなら茶山にござれ 縁は茶の木の葉で結ぶ
3 茶山茶山と楽しゆできたが 何のよかろか坂ばかり
のぼり唄、摘み唄、揉み唄、仕上げ唄の4つの場面に相当する歌詞と3つの調子から成っており、組曲で歌わる民謡は全国的にも珍しいと言われています。
昭和58年にNHKで放送されて以降、急速に普及して、平成3年から全国大会がスタートしました。