平成3年に第1回大会が開催され、本年で32回目を迎えました。当時は、山鹿市鹿北町唯一の民謡である鹿北茶山唄を郷土の誇りとして後世に残し、特産品である鹿北茶の振興を目的としておりました。しかしながら、次第に九州各県をはじめとする各地の民謡愛好家に好まれ、現在では毎年約200名の愛好家が参加する大会となりました。
開催日時
令和6年10月27日(日) 午前9時30分開会
開催会場
山鹿市民交流センター
(鹿北茶山唄の由来)
寛永9年(1632年)、肥後藩主細川忠利公がお国巡視の折に椎持村(のちの岳間村、現在の山鹿市鹿北町)星原の番所で、地元の人々が献じたお茶の香りとまろやかな滋味を大変気に入り、星原の一区画に茶園を設け、御前茶として細川家代々の殿様に献上されるようになりました。
以来、細川藩の御用達茶として、毎年新茶が出来ると九曜の紋のついた茶壷に収められ、椎持往還(星原から熊本まで)では茶壷を地上に置くことは許されず、肩から肩に移し運んだと伝えられています。
八十八夜の頃には、天草・宇土方面から多くの茶摘み衆が集まり、多いときはその数が千人以上にも及び、村人と一緒の歌声が響き、茶山の里は大変な賑わいであったといわれています。
鹿北茶山唄は、そのような中で生まれた作業唄で、単調な茶業の仕事に潤いをもたせ、にぎやかに楽しく働くために唄われた民謡です。
鹿北茶山唄は、茶業の工程に合わせて「のぼり唄」「摘み唄、揉み唄」「仕上げ唄」の4つの場面に相当する歌詞と3つの調子から成っており、組曲で唄われる民謡は全国的にも珍しいと言われています。